陳言/文 過去において新エネルギー自動車に対して懐疑的な態度を持つ人は少なくなかったが、状況は今でもさほど変わっていない。中国で、長年の懸案となったまま未解決の要素は航続距離であり、それに類する疑問がこれまでに何度も世論に登場した。例えば、中国では1月の新エネルギー自動車の販売台数が前期比で43%も減少したが、その原因を究明すると、問題は依然として新エネルギー自動車の電池に対するクレームに起因し、ネット上には電池の問題に対する皮肉のこもったコメントが満ち溢れている。これらのコメントの内容は、ほかでもない航続距離に対する不安に関するものであり、「冬場に車内で空調を使うことすらためらってしまうような」自動車を一体だれが買うのかという声が上がっている。

こうしたコメントは決してあら探しではない。最近10年間における新エネルギー自動車の販売台数の激増と比較して、自動車用動力電池の技術的発展は限られたものだ。2012年、中国の新エネルギー自動車の販売台数は1万3000台だったが、2022年には689万台に到達し、10年間で530倍以上に増加した。しかし、これに対して自動車用動力電池単体のエネルギー密度は、2022年時点で、2012年時のわずか1.2倍だ。

自動車用動力電池は主にリチウムイオン電池だ。リチウムイオン電池は新エネルギー自動車、特に電動自動車の動力源であり、関連技術には今後もさらなる改良の余地がある。もしそれが事実なら、その余地はどれほど大きなものか?この問題に関して、我々は「リチウムイオン電池の父」、ノーベル賞化学賞受賞者である吉野彰さんに書面で質問する形式で教えを乞うた。



電池のエネルギー密度に潜む「画期な向上」の可能性

吉野彰さんは1948年生まれで、1972年に旭化成工業株式会社(現・旭化成株式会社)に入社し、この世界的な大手化学企業で開発業務に携わった。吉野さんは今も同社の名誉フェローとして関連研究を継続してきた。1985年、吉野さんは同社でリチウムイオン電池(リチウムイオンを含む金属酸化物を正極に用い、炭素材料を負極に使用)を開発した。旭化成は1991年にソニーと提携し、1992年には東芝と共に合弁会社を設立し、両者はそれぞれリチウムイオン電池の商品化と商業化を実現した。2019年、スウェーデン王立科学アカデミーは吉野さんと他2人の3人の学者に同年度のノーベル化学賞を授与した。同賞は、吉野さんのリチウムイオン電池分野での功績を表彰しているだけではなく、吉野さんが「Mobile-IT 社会」を創造したことを褒め称えている。

吉野さんは、筆者の質問に対して以下の回答を書面で寄せてくださった。電池技術において最も重要なのは、如何にイオン(特にリチウムイオン)の動く速度を加速させるかだ。この部分に技術を向上させる大きな余地がある。イオンの動きが速いほど、出力特性(瞬発力)もより良くなる。同時に電極設計や電池設計の幅がさらに広がり、エネルギー密度も画期的に向上する可能性を秘めている。

「画期的向上」という言葉に吉野さんの楽観的な精神が十分に表れている。電池に関して、筆者の理解では、現在蓄電池は電解液を使った液系リチウムイオン電池が主流だが、全固体リチウムイオン電池も技術開発の方向性の一つだ。電解液が固体電解質に変わるならば、正負極材料も変わることになり、液系リチウムイオン電池の電解液に起因する発火や電解液の液漏れなどの問題を効果的に回避することができる。この他に、全固体電池の密度は高く、より多くの電力を蓄えることができるため、充電時間を短縮することができる(液系電池の3分の1の充電時間で充電を完了することができる)。しかし、デメリットの角度から見ると、高容量および高速充電には商品寿命の短縮という問題が伴う。

現在、一部の日本企業はすでに具体的な全固体電池の商業化において段階的な計画を立てており、これらの計画は今後の電池開発における重点プロジェクトとなっている。しかし、全固体リチウムイオン電池の量産化と商業化(大幅なコストの削減)を実現できるか否かに関して、業界内では未だに明確な答えが出ていない。

従って、筆者は抑えがたい好奇心を抱きつつ、「今後の電池開発の大まかな方向性とアプローチについてどんな見方を持っておられますか?」と吉野さんに尋ねたところ、吉野さんからは、「材料開発はもちろん重要だが、電極設計と電池設計も同様に、今後の電池開発分野における大まかな方向性およびアプローチとなる」という非常に明快な答えが返ってきた。

実のところ、筆者もこの問題が吉野さんにとって回答し難いものであることは理解している。この点に関して、技術向上の最適な道筋と大きな進展をもたらす具体的な時期を予言するのは、ほぼ不可能だ。たとえノーベル賞受賞者の「リチウムイオン電池の父」による回答であっても、専門分野における吉野さんの個人的な好みや考えを反映しているに過ぎない。

とはいえ、吉野さんが他のいくつかの問題において示した見解には、実に極めて高い価値がある。

情報の伝達性および社会の「底力」がとても重要

私は80年代後半から90年代にかけて日本に留学し、働いたが、そのころ私はウォークマンやCDプレーヤー、携帯用ビデオカメラ、ノートパソコンなど多くの電子機器を購入し、その際に様々な形状の電池を手にする機会があった。外出時には必ず予備の電池をいくつか携行する必要があった。

しかし、吉野さんが発明したリチウムイオン電池が普及してからは、予備の電池が登場する機会が大幅に減った。以前のノートパソコンは電池だけで電力供給をするならば、大概2、3時間しかもたなかった。しかし、現在では多くの製品の電池駆動時間が10時間に達しており、重さも以前よりずっと軽くなっている。吉野さんがノーベル賞を受賞した後、中国メディアが吉野さんの先駆的な取り組みが人類にもたらした貢献について総括する際にはいつも、「吉野さんがいなければ、携帯電話もノートパソコンも存在しなかった」と好んで伝えているが、それは決して過言ではない。

21世紀に入り、リチウムイオン電池が自動車の動力供給源になり始めると、電池の用途が再び広く開拓され、電池産業の社会および経済的地位が大きく上昇し、より多くの資金がこの分野に投入されるようになり、より大きな開発力が常にこの分野に集中した。このようにして、関連技術が未来の人類の生活にもたらす可能性はますます大きくなり、関連分野におけるトップ研究者が以下の問題に対して行った回答は、おのずと大きな意味を帯びるようになった。

社会の側面から技術革新を実現するためには、どんな要素が不可欠か?

吉野さんが出した回答は以下のとおりだ。「2つの点が重要だと思う。1点目はMobile-IT社会の実現によって情報の伝達がより平衡のとれたものとなり、人々が情報を入手する上での手軽さも急速に向上したことだ。市場の変化、最先端技術の開発状況などの情報が廉価なチャネルを介して迅速に入手できるようになり、技術開発のスピードも過去に比べて格段に早くなった。技術の進歩を追求する面で社会が果たすべき義務は、研究者たちに可能な限り関連分野における良い環境を提供することだ。2点目として、(ユニークな研究開発を成功させる上で)底力(潜在力)が依然として重要な役割を果たすという点は、過去も現在も未来も変わらない。底力はより重要な地位を占めていると言うことができる。いわゆる「底力」とは、企業として、社会として歳月をかけて築き上げてきた技術と経験の蓄積だ。研究者個人に関して言えば、最先端の情報を迅速に入手することができ、企業と社会の「底力」によるサポートを獲得する能力を有すること。これら2つの能力を兼ね備えているなら、技術革新を成し遂げられる可能性は最も高まる」

「底力」の角度から見ると、日本の産業革命は中国より何十年も早く、また企業は社内で多くの技術を蓄積し、早い時期から開発を重視する習慣と体制を育んできた。例えば旭化成は、基礎研究の分野で、1つのプロジェクトに費やす期間は5年から10年もしくはそれ以上であり、それに惜しみなく資金を投入している。吉野さんはノーベル賞の受賞後、初めてメディアからの取材を受けた時に、「旭化成が私に十分な報酬と研究開発費を提供してくれたおかげで、私は何の心配もせずに研究に打ち込むことができた」と語った。

日本という国はこのような資質を持っているからこそ、旭化成や島津製作所、日亜化学工業といったノーベル賞クラスの発明家を輩出できる企業を生み出せるのだ。中国社会や中国企業にとっても、このような経験は非常に大切なものだ。

日本企業(中国)研究院執行院長による執筆。

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